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東京地方裁判所 平成8年(ワ)12097号 判決 1998年4月30日

原告

大森正嘉

右訴訟代理人弁護士

遠藤幸子

被告

東京海上火災保険株式会社

右代表者代表取締役

五十嵐庸晏

右訴訟代理人弁護士

太田秀哉

井波理朗

柴崎伸一郎

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一  請求

被告は、原告に対し、金一八六四万九九〇〇円及びこれに対する平成八年八月二八日(訴状送達の日の翌日)から支払済まで年六分の割合による金員を支払え。

第二  事実の概要

本件は、税理士であって日本税理士会連合会税理士職業賠償責任保険の被保険者である原告が、顧客から委託を受けた相続税の納税猶予のための農地特定転用承認申請手続を失念したため、顧客に対しこれによる損害賠償責任を負担したとして、右保険の保険者である被告に対し、右保険契約に基づいて保険金の支払を請求した事実である。

一  争いのない事実等

1  原告は東京税理士会に所属する税理士であり、被告は損害保険事業を目的とする会社であるが、原告は、被告との間で、平成六年七月一日までに、次のような内容の日本税理士会連合会税理士職業賠償責任保険契約(以下「税賠保険」という。)を締結し、さらに、平成七年七月一日までに、保険期間を同日から平成八年七月一日までとする同様の保険契約を締結した(争いがない)。

(一) 被告の填補責任 被告は、被保険者(原告)が税理士としての業務の遂行にあたり、職業上相当な注意をしなかったことに基づき提起された損害賠償請求について、法律上の損害賠償責任を負担することによって被る損害を填補する。

(二) 保険期間 平成六年七月一日から平成七年七月一日まで

(三) 填補限度額 一請求当たり一億円

(四) 免責 被告は、納税申告書を法定申告期限までに提出せず、または納入すべき税額を期限内に納付せず、もしくはその額が過少であった場合において、修正申告、更正または決定により納付すべきこととなる本税(累進増差税額を含む)等の本来納付すべき税額の全部もしくは一部に相当する金額につき、被保険者(原告)が被害者に対して行う支払(名目のいかんを問わない)については、填補しない(以下「本件免責条項」という。)。

その他 省略

2(一)  訴外笠井宏之(以下「笠井」という。)は、昭和五八年一一月一五日、千葉県柏市内で農業を営んでいた亡笠井幸之助から農地を相続し、租税特別措置法(以下、単に「法」ともいう。)七〇条の六に基づき、農業相続人として、その相続税について、一八六四万九九〇〇円の納税猶予を受けていたが、同法の一部を改正する法律(平成三年法律第一六号)付則一九条六頁の規定により、相続財産である農地を一定の要件に該当する住宅用地に転用(以下「特定転用」という。)するにつれて、所轄税務署長に対し特定転用承認申請書を提出してその承認を受ければ、引き続き納税猶予の特例の適用を受けることができたものであった(甲三の1、2、五ないし七)。

(二)  原告は、笠井から、平成五年四月二三日、右の特定転用承認申請手続を依頼され、関係書類を作成するなどしてその準備を進めていたが、その後担当者の交替等により右申請手続を失念し、平成六年七月五日の提出期限までに右申請書を提出しなかった。そのため、笠井は、相続農地を住宅用地に転用したものの、右特定転用承認を受けることができなくなった(甲五、一〇ないし一二、一三の1、2)。

(三)  結局、原告の右過失行為により、笠井が相続税の納税猶予の継続適用を受けられなくなったため、原告は、笠井から損害賠償の請求を受け、同人に対し、平成八年四月三〇日までに、損害賠償として、相続税本税分一八六四万九九〇〇円全額及び利子税分一四三五万二八〇〇円のうち九三五万〇一〇〇円、合計二八〇〇万円を支払った(甲四の1ないし3)。

3  笠井は、所轄税務署に対し、平成八年五月七日までに、相続税本税一八六四万九九〇〇円、利子税一四三五万二八〇〇円を納付した(甲三の1、2)。

二  争点

主な争点は、右保険事故が本件免責条項に該当するか否かである。

(被告の主張)

笠井の相続税は、相続税申告時に確定しており、一定の要件のもとでその納税が猶予されていたにすぎず本件免責条項にいう「本来納付すべき税額」に該当する。したがって、原告の笠井に対する支払いは、本件免責条項の「本来納付すべき税額の全部もしくは一部に相当する金額につき、被保険者(原告)が被害者(笠井)に対して行う支払」に該当するから、被告は原告に対し、右支払いについて、填補責任を負わず、免責される。

(原告の主張)

確定された相続税の納期限は、原則として申告期限と同一であるが、納税猶予を受けた部分については相続人の死亡等一定の時点まで猶予される。そして、一定の要件を満たせば、納税猶予の特例を受けた相続税全額が免除されることとされている。笠井は、申告により確定された相続税額のうち、申告期限を納期限とする相続税額については納期限内に全額を支払い、残部の相続税については納税猶予を受けた。笠井は、この納税猶予を受けた相続税額が免除される時点まで納税猶予を受け続けるつもりでいた。したがって、右納税を猶予された相続税額については、笠井は、本来これを納付しなくてもよかったものであり、本件免責条項にいう納税者が「本来納付すべき税額」には該当しない。

仮に、そうでないとしても、原告にも、笠井にも、不当に保険金を取得しようとする目的がないことが明らかであるのに、このような場合にまで、本件免責条項を適用することは、公序良俗に違反し許されない。

第三  当裁判所の判断

一1  甲第二、第八号証、乙第一、第二証及び弁論の全趣旨によれば、税理士損害賠償責任保険(税賠保険)における本件免責条項規定の趣旨は、次のとおりである。

税賠保険は、被保険者たる税理士が税理士業務の遂行による法律上の損害賠償責任を負担することによって被る損害を、被害者側から損害賠償請求がなされることを条件に、保険で填補するというものであるが、税理士業務に起因して税理士が損害賠償責任を負担するのは、ほとんどが税金に関する事例であり、一つは、過大に税金を支払ってしまったり、還付可能な税金の還付を受けられなかったりした場合と、もう一つは、税金の支払いが過少だったがために追徴されたり、還付を受けた税金が過大であったがために返還したりした場合とも大別される。いずれの場合も、税理士に過失があれば税理士は法律上の損害賠償責任を負担することになる。しかしながら、税賠保険で填補されるのは、前者の事案のみであり、後者の事案は、本件免責条項により、税賠保険の填補対象とはならない。

仮に、右免責条項が存在しないとすると、例えば、不正だと知りつつ過少申告を行ったが、後日税務署の調査でその事実が判明し、過少だった本税部分について修正申告をせざるを得なくなった事例の場合にも、税理士に損害賠償責任があれば、この本税部分を保険で填補する事態が発生し得る。このように、本税部分が税賠保険で填補されるとなると、納税者としては、とりあえず過少申告を行い、もし、税務当局にそれが発覚したら税理士の賠償責任を追求して、税理士の税賠保険で損害を賠償してもらうという行動をとるおそれがある。この場合、納税者は、納付すべき税額を保険で補填することができることとなり、不当である。

そこで、このような不正な申告行為(無申告を含む)や不正な納税行為等を排除するため、免責条項が定められたものである。すなわち、本件免責条項は、国民の適正な納税意識や円滑な徴税行政の支障となるような行為を税賠保険の填補対象から除外することによって、税賠保険制度が国民経済全体に寄与することをも目的として設けられた規定である。なお、納税者にも、税理士にも、不正目的がなかった場合の取扱が一応問題となるが、不正目的の有無を保険会社の調査権をもって判別することはきわめて困難であるため、不正目的のある事案についても、また、不正目的のない事案についても、一律に免責とされている。

2  右のような本件免責条項の規定の趣旨に照らすと、本件免責条項のうち「納税申告書…中略…等の」の部分は、例示的規則であり、被告は、納税者の「本来納付すべき税額の全部若しくは一部に相当する金額につき、被保険者が被害者に対して行う支払いについては、」これを填補せず、免責されるものと解するのが相当である。

二  甲第六、第七号証及び弁論の全趣旨によれば、法七〇条の六の規定による農地等に係る相続税の納税猶予の制度の概要は次のとおりである。

この特例制度は、最近における農地の価格が宅地期待益含みのものとなっていることにより、農業を継続する意思を有しながら、相続税の納付のため農地が細分化され、農業経営を縮小せざるを得ないという事態も生ずるに至っている実状を踏まえ、相続税納付のために農地の細分化が行われることを防止し、農業後継者を育成することを考慮して設けられたものである。そして、農地等の相続人が農業を承継して営む場合には、一定の要件のもとに、相続、遺贈又は死因贈与により取得した農地等の価格のうち、恒久的に農業の用に供されるべき農地等として取引される場合に通常成立すると認められる価格を超える部分に対応する相続税額の納税を猶予するというものである。

1  納税猶予の特例を受けるための要件

農地等についての相続税の納税猶予等の特例は、次に掲げる要件のすべてを満たしている場合に適用される(法七〇条の六第一項、四項、一二項)。

(一) 被相続人は、次のいずれかに該当する者であること。

(1) 生前に有していた農地及び採草放牧地について、その死亡の日まで農業を営んでいた個人

(2) 農地等を贈与した場合の贈与税に納税猶予の特例(法七〇条の四)の適用に係る贈与をした個人。

(二) この特例の適用を受けられる農業相続人は、(一)に掲げる被相続人の相続人で、次のいずれかに該当する者であること。

(1) 相続税の申告書の提出期限(以下「申告期限」という。)までに、その相続、遺贈又は死因贈与により取得した農地及び採草放牧地に係る農業経営を開始し、その後引き続きその農業経営を行うと認められた者

(2) …省略…

(三) 納税猶予の対象となる農地等は、次に掲げる農地、採草放牧地(いずれも特定市街化区域農地等を除く。以下同じ。)及び準農地のうち、その農業相続人の選択により相続税の期限内申告書にこの特例の適用を受ける旨の記載のあるもの(以下「特例農地等」という。)に限られること。

(「特定市街化区域農地等」とは都市計画法七条一項に規定する市街化区域内に所在する農地又は採草放牧地で、平成三年一月一日において東京都の二三区及び三大都市圏に所在する特定(省略)の都市区域内に所在するもの(但し、「都市営農農地等」(都市計画法八条一項一四号に掲げる生産緑地地区内にある農地又は採草放牧地で、平成三年一月一日において、東京都の二三区及び三大都市圏に所在する特定(省略)に都市区域内に所在するもの)に該当するものを除く。)である。)(なお、笠井が相続した本件の農地は、特定市街化区域農地等であって、都市営農農地等に該当する。)

(1) 相続税の申告期限までに遺産分割により取得した農地、採草放牧地及び準農地

(2)、(3)…省略…

(四) その年分の相続税の申告期限までに、納税猶予分の相続税の額及び利子税の額に相当する担保を提供すること。

2  納税猶予の期限

(一) 通常の場合

農業相続人の納税猶予額は、原則として次の(1)から(3)までに掲げる日のうちいずれか早い日まで、その納税を猶予される(法七〇条の六第一項、五項)。

(1) 農業相続人の死亡の日

(2) 納税猶予に係る相続税の申告期限の翌日から二〇年を経過する日

(3) …省略…

(二) 農業相続人の死亡等の日前に特例農地等の譲渡その他特定の事由に該当することとなった場合

(1) 納税猶予税額の全部について納期限が確定する場合

農業相続人が、前項の(1)から(3)までに掲げる日のうちいずれか早い日前において、次に掲げる場合のいずれかに該当することとなったときは、それぞれ次の掲げる日から二か月を経過する日をもって、その納税の猶予が打ち切られ、納税を猶予されていた相続税の全額を一時に納付しなければならない(法七〇条の六第一項ただし書)。

① 相続、遺贈又は死因贈与により取得した特例農地等の譲渡、贈与若しくは転用をし、若しくはその特例農地等につき地上権、永小作権、使用貸借による権利若しくは賃借権の設定をし、又はその取得に係るこれらの権利の消滅があった場合において、その譲渡、贈与、転用若しくは設定又は消滅があったその特例農地等に係る土地の面積が、その農業相続人のその時の直前におけるその取得した特例農地等の面積の一〇〇分の二〇を超えるときその事実が生じた日

② 相続、遺贈又は死因贈与により取得した特例農地等に係る農業経営を廃止した場合 その廃止の日

③ 毎三年ごとの「引き続いて納税猶予の適用を受けたい旨の届出書」(以下「継続届出書」という。)及び特例農地等に係る農業経営に関する一定事項を記載した明細書を提出しなかった場合 その届出書の提出期限の日

(2) 納税猶予税額の一部について納期限が確定する場合…省略…

(三) 担保の変更等の命令に応じない場合

農業相続人が前記1(四)の担保について国税通則法五一条一項の規定による担保の変更等の命令に応じないときは、税務署長は、納税猶予の適用を受けている相続税の納税猶予の期限を繰り上げることができる。この繰り上げが行われたときは、納税を猶予されていた相続税は、その繰る上げに係る期限までに納付しなければならない。

3  特例農地等の買換え等の場合

農業相続人が特例農地等を譲渡等した場合や特例農地等について買取りの申出等があった場合には、既に述べたとおり、納税猶予の特例の適用を受けていた相続税額の全部又は一部の納税猶予が打ち切られることとなるのであるが、次のとおり、一定の要件の下に税務署長の承認を受けるときは、その譲渡又は買取りの申出等はなかったものとみなされる(法七〇条の六第一〇項、一一項)。

(一) 特例農地を譲渡し、代替農地を取得する場合

(1) その承認に係る譲渡等は、なかったものとみなす

(2) その譲渡等があった日から一年を経過する日において、その承認を受けた譲渡等に対価に額の全部又は一部が農地又は採草放牧地の取得に充てられていない場合には、その譲渡等に係る特例農地等のうち、その充てられていないものとして、次の算式(省略)により計算した金額に相当する部分は、その一年を経過する日において譲渡等されたものとみなす。

(二) …省略…

4  納税猶予を受けていた相続税額の全部又は一部を納付する場合の利子税の納付

前記2項(二)、(三)に該当することになったことにより納税猶予の適用を受けていた相続税額の全部又は一部を納付することとなった場合には、その納付することとなった相続税額を基礎とし、その相続税に係る申告期限の翌日から前記の納税猶予の期限までの期間の月数に対じ、年6.6パーセントの割合を乗じて計算した金額に相当する利子税を、その相続税に合わせて納付しなければならない(法七〇条の六第二一項)。

5  納税猶予分の相続税額の全部又は一部の免除

農地等についての相続税の納税猶予の特例の適用を受けている場合において、農業相続人が次に掲げる場合のいずれかに該当することとなったときは、次のそれぞれに掲げる相続税は、所定の届出書を所轄税務署長に提出することにより免除される。

(一) 農業相続人が死亡した場合納税猶予分の相続税額(全部)

(二) 農業相続人が特例農地等の全部について、農地等を贈与した場合の贈与税の納税猶予の特例の適用が受けられる生前一括贈与をした場合 納税猶予分の相続税額(全部)

(三) …省略…

(四) 納税猶予に係る相続税の申告期限の翌日から二〇年を経過した場合 納税猶予分の相続税額(全部)

6  納税猶予の適用を受けるための手続

(一) 申告の手続

農地等についての相続税の納税猶予の特例は、その適用を受けようとする農業相続人のその農地等の取得をした日の属する年分の相続税の申告書に、特定の農地等についてこの特例の適用を受けようとする旨並びにその特例農地等の明細及びその特例農地等に係る納税猶予分の相続税の額の計算に関する明細その他所定の事項を記載した書類を添付し、その申告書を申告期限内に提出しない場合には、適用されない(法七〇条の六第一二項)。

(二) 継続して納税猶予を受けるための手続

この特例の適用を受けた農業相続人は、その適用を受けた相続税の額の全部について納税猶予の期限が確定するまでの間、その相続税の申告書の提出期限の翌日から起算して三年を経過するごとの日までに、継続届出書及び特例農地等に係る農業経営に関する一定事項を記載した明細書に所定の書類を添付して納税地の所轄税務署長に提出しなければならない。

この届出書がその提出期限までに提出されない場合には、その納税が猶予されている相続税は、その期限の翌日から二か月を経過する日をもって、その納税の猶予が打切られる(法七〇条の六第一五項)

三  また、甲第六、第七号証及び弁論の全趣旨によれば、特定市街化区域農地等を特定の住宅用地等に転用(特定転用)する場合の納税猶予の継続適用の制度の概要は次のとおりである。

1  昭和六〇年一月一日前に開始した相続に係る相続税について納税猶予の適用を受けた農業相続人が、その適用を受けた特例農地等のうちに平成三年一月一日以前において特定市街化区域農地等に該当するものを有する場合において、その全文又は一部について平成四年一月一日から平成九年一二月三一日までの間に次に掲げる場合に該当する転用をする見込みであることにつき納税地を所轄する税務署長の承認を受けたときは、その承認に係る転用はなかったものとされ、納税猶予期限は確定しないこととなる(法附則一九条六項)。

また、特例農地等の全部についてこの承認に係る転用があった場合であっても、農業経営の廃止に該当しないものとされている(法附則一九条六項)。

(一) 賃貸用共同住宅用地として特定法人に貸し付ける場合の転用…省略

(二) 賃貸用共同住宅を特定法人に貸し付ける場合の転用…省略

(三) 貸用共同住宅を新築又は取得し、自ら賃貸する場合の転用

農業相続人が、自ら特定市街化区域農地等に賃貸の用に供する中高層耐火建築物である共同住宅を新築し、又は住宅・都市整備公団から中高層耐火建築物である共同住宅を取得し、かつ、これらを自ら賃貸する場合 …共同住宅の要件等は省略…

2  前項の税務署長の承認があった後において、次に掲げる事由が生じた場合には、それぞれ次に掲げる日に転用があったものとしてその部分に対応する特例農地等について、納税猶予に期限が確定する(法附則一九条八項)。

(一) 賃貸用共同住宅用地として特定法人に貸し付ける場合…省略

(二) 賃貸用共同住宅を特定法人に貸し付ける場合…省略

(三) 賃貸用共同住宅を新築又は取得し、自ら賃貸する場合

(1) 平成九年一二月三一日までに賃貸用共同住宅の建設の基礎工事に着工していない場合 同日

(2) …省略…

(3) 貸付け後、納税猶予期限までの間にその賃貸用共同住宅の敷地の用に供しないこととなった場合 その供しないこととなった日

3  前記1項の承認を受けた農業相続人は、その承認を受けた日の翌日から起算して毎三年を経過するごとの日までに、納税地を所轄する税務署長に対し、所定の事項を記載した提出書に一定の書類を添付して提出しなければならない。その提出をしない場合には、その提出期限の翌日から二か月を経過する日をもって納税猶予に係る期限とされる(法附則一九条一〇、一一項)。

四  以上の認定、判断によれば、農地等に係る相続税の納税猶予制度において、相続人の相続税の納税額は、相続税申告時に既に確定しているものであり、農業政策上の配慮等から一定の要件を満たす場合に限り、その納付が一定の期限まで猶予されているに過ぎないこと(ただし、一定の要件を満たせば免除される)、相続税申告時に納税猶予を受けるための手続を怠った場合には納税猶予の特例は適用されず、一旦その特例の適用を受けた場合でも、納税猶予分の相続税額が免除される日までに、①相続等により取得した特例農地等の譲渡、贈与若しくは転用(特定転用の例外がある)等をした場合、②担保の変更命令に応じない場合、③毎三年ごとの継続届出書等を提出しなかった場合等は、納税猶予が打ち切られ、納税を猶予されていた相続税額を一時に納付しなければならないこと、特定転用をした場合の納税猶予は、所轄税務署長の承認を受けたときに、納税猶予の継続適用が受けられるというものであること、仮に、例えば、相続税の納税猶予を受けている納税者(相続人)と税理士が意思を通じて、将来、納税者が相続等により取得した特例農地等を譲渡、贈与若しくは転用するなどの目的を秘匿して、故意に、特定転用をする見込みであることにつき承認申請を行わないままで、不正だと知りつつ、税理士が、右承認申請を失念し納税者に損害賠償責任を負ったとして、納税を猶予されていた相続税分の保険金請求をした場合を想定すると、この場合に右相続税分が税賠保険で補填されるとすると、納税者としては、右相続税分の負担をしないで、相続した農地等を自由に譲渡したり、利用したりすることができることとなるが、このような不正な無申請行為をも排除することが、本件免責条項の規定の趣旨に適うこと、なお、免責該当行為について、納税者にも税理士にも不正目的がなかった場合も、その有無の判別が困難であるため、一律に免責とされていることなどがそれぞれ認められる。

これら前記認定の本件免責条項の趣旨、農地等に係る相続税の納税猶予制度、及び特定転用の場合の納税猶予の継続適用制度の各趣旨、内容等に鑑みると、笠井が納税猶予を受けていた相続税額は、本件免責条項の「本来納付すべき税額」に該当し、原告の笠井に対する損害賠償金一八六四万九九〇〇円(相続税本税分)の支払は、本件免責条項の「本来納付すべき税額の全部もしくは一部に相当する金額につき、被保険者(原告)が被害者に対して行う支払(各目のいかんを問わない)」に該当すると認めるのが相当であるから、本件免責条項により、被告は、原告の笠井に対する右支払について、填補責任を負わないというべきである。

原告は、笠井は、特定転用の承認を受けて納税猶予の継続適用を受ければ、将来確実に、納税猶予を受けていた相続税全類の免除を受けられた筈であるから、右相続税額は、本件免責条項の「本来納付すべき税額」には当たらない旨主張するが、前記認定のような納税猶予制度の内容等に照らすと、確実に猶予税額の免除を受けられたとまで認めることは困難であるから、右主張は理由がない。

また、納税者や税理士の不正目的の有無を判別することがきわめて困難であることを考慮すると、右不正目的の有無にかかわらず、一律に、本件免責条項を適用することが公序良俗に違反するとまではいえない。

五  よって、原告の本訴請求は理由がないからこれを棄却することとして、主文のとおり判断する。

(裁判官市川賴明)

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